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当社の歩み

NAKADEN(中村電設工業)
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当社の歩み


江戸時代、日光街道の宿場町として栄え、権現堂堤が桜の名所として知られる埼玉県・幸手市。


昭和14年2月22日
中村電設工業株式会社の創業者・中村章一は、8人兄弟の長男としてこの地に生まれた。

章一は大宮工業高校に進学すると、電気の知識を活かし、近隣に住む人たちの納屋や家の配線工事などをアルバイトとしていた。
卒業後は、サンケイホールの変電室に就職。



順調にキャリアを重ねていたある日-
行きつけのスナックの常連客に、宝石店の共同経営の話を持ち掛けられる。
興味を持った章一は、父に相談し200万円を工面し渡してしまう。

-「騙された」と気づいた時にはもう遅く、相手はそのまま音信不通になってしまった。
当時、公務員の初任給が2万円に満たなかった時代。
自分の給料では到底返しきれない。
大きな借金を背負ってしまい、サラリーマンをやっていては何年働いても返せないから…


”いっそのこと電気工事の会社をやろう。”


昭和39年9月1日。
こうして父・八郎と共に「有限会社中村電機商会」が創業される
章一、25歳の時だった。

最初は実家の母屋の片隅を事務所とし、職人3人と共に小さなスタートを切った。
前職の同僚に頼み、腕のいい職人を口説き落とし現場に出ながらその技術を盗んだ。



昭和45年
「中村電設工業株式会社」に組織変更する。



この頃、章一は妻・千代子と出会い結婚。
翌年には、待望の長男・康宏(現社長)が誕生。
その後も3人の子宝に恵まれる。



もっと大きな工事を-
当時、幸手市はおろか、東武線沿線にはRCの工事を請け負うことが出来る電気設備会社は存在しなかった。章一はそこに目を付けた。
「自分たちがパイオニアになる」
新たに社員に加わった弟・信雄と共にRCの工事を受注するため奔走。



昭和47年
その努力が実を結び、受注。これを機に保健所や病院・小中学校といったRCの大型工事を次々と受注。
大宮支店・東京営業所を開設し、事業はどんどん拡大していった。


昭和59年
バブル景気の前夜、会社の売上はついに10億円を突破。
社員も毎年増員していった。
バブル崩壊時、営業先や受注する仕事を変化させ長い冬の時代も乗り越えた。


いつしか中村電設工業は、住宅都市整備公団(現在のUR)の優秀工事表彰を4度も受賞する、確かな技術力を誇る会社に成長していた。




平成25年
そんな矢先だった-
章一が余命1年と宣告された。肝臓癌だった。息子の康宏は不動産業で20年以上仕事をしていたが、この時初めて章一から「そろそろお前がやらないと駄目だろう」と言われ、腹をくくった。


平成26年8月31日
章一は静かに息を引き取った。(亨年75歳)
その日は、奇しくも創業から、ちょうど50年を迎えた日だった。



平成26年9月1日
章一が亡くなった翌日、康宏が社長に就任。
康宏は様々な本を読み漁り、経営コンサルで学び、これまでの建設業界のイメージを払拭し、組織の在り方を一から見直す社内改革に取り組み始める。



平成27年6月
地域の法人や個人宅の電気に関するお困りごとを解決する「住まいのおたすけ隊」のFCに加盟。
その後も省エネ等様々な事業を展開している。



多様な収益源を作り、何があっても変化に対応できる会社づくりをしていく。
今の会社があるのは、先代が居て、先代の家が土地を持っていて、そして会社を支えてきた人たちがいたからこそ。





新たな事業にもどんどんチャレンジし、成長していく。
そして幸手市という地域に根ざし、地域に貢献していく。



中村電設工業㈱改めNAKADENは、日本一の設備会社を目指し、社員一丸となって邁進していく